サンキュー・ガール(1)

私は16歳のとき、公認会計士になろうと思い、両親はロンドンの会計事務所での実務実習契約にサインをした。実務実習の仕組というのはヴィクトリア朝時代の遺物ではないのか?中流階級向けの奴隷労働といってもいいのではないのか?しかしながら、実務実習期間である限り解雇されないということでもあり、こちらにとってもいいことでもあった。会計士をクビになることはないのだ。

事務所にはいってすぐに明らかとなったのは、担当するクライアントに基づいた、非公式の階層構造があることだった。才能のある実習生はたいてい、魅力的で金になる、強大なクライアントの帳簿チェックに派遣され、一方では、覚えの悪い実習生たちが低い階層のクライアント-塗装工場、タバコ製造業者、廃車業者など-へ派遣されていた。この階層構造の最下層にあたる、最も不人気なクライアントが、北ウェールズのランルスという町のスレート採石場だった。

ほんの少しランルスにいるだけで、ロンドンから離れられるだけ離れてしまったと思わずにはいられないだろう。スレート採石場だって?その事務所といったら、ぼろぼろの泥板岩の屋根に覆われた、暖房の入っていない、みすぼらしい小屋ではないか?そこでの仕事は厳しく変わったものではあったけれども、実習生には単なる罰とみなされていて、罰を受けるに値するものたちのために残されていた。

1962年の終わり、19歳になる頃までには、私は定期的にランルスを訪れるようになっていて、会計士のキャリアが終わりを告げているように思われた(実のところ、実務実習の期限である1965年までなんとか会計士をつとめることができたが、期限がくると即座にクビになった)。私はこの終わりつつあるキャリアに対してかなり関心を失っていた。一方で作家になることに興味を抱いており、ランルスで冬を過ごすことで、少なくとも新鮮な気分にはなれた。数年後、ここで過ごした日々から何かを引き出すことができるだろうか?うまくやれば、作家はどこにいてもインスピレーションを得ることができるはずだ。そして、クリスマスの2週間前のあのとき、凍てつくように寒いランルスの石切場で働いていたことは、あとで考えると、まさにちょうどいい時にふさわしい場所に居合わせたということになったのだった。

このことを話すには、まずランルスでは夜ほとんど何もすることがないということから始めなければならない。できることはわずかに2つのことだけだった。1つはホテルのバーに残り、暖かいところで、酔っ払うこと。もう1つは女の子を探しに出かけること。私は酒をすごく好きになったことはなく、また19歳のころの性的な体験といえば、ほとんど想像の領域にとどまっていた。それでもなお、2つの選択肢の中では後者に関心があったけれども、そうしたことに関する運はないままだった。ランルスに女の子がいたとしても、見かけた記憶はなかった。たいていは他の実習生と一緒にホテルのバーで過ごすこととなり、ライムの入ったラガービールをもてあそびながら、楽しんでるように装った。ランルスで過ごす冬の晩、時間はなかなか進まなかった。

1962年末のランルス訪問では、ハートフォードシャーのカフリー出身で、事務所に入ったばかりのティムという若者と働いていた。ティムは私より一歳若かった-背が高く痩せていてかっこいい青い眼とはっとするような金髪をしていた。彼は女の子に興味があって、女の子も彼に興味があったが、ランルスのような場所ではカサノヴァだって試練にあっただろう。彼と私は希望を抱いて凍てつく人気のない通りに何度か繰り出したが、彼の運気とて私のとさして変わらず、結局バーに戻り、嘘の(少なくとも私の場合)武勇伝を自慢しあいながら、退屈な長い夜を過ごすことになるのだった。

はじめに

自分が一番好きな作家、クリストファー・プリーストを好きな人が自分の周りにいないので、ブログでも作ったら、プリーストについて話ができるんじゃないかとの期待のもと、はじめてみました。

とりあえず、プリーストがビートルズについて書いたエッセイを自分が勝手に翻訳したものをアップしますので、何か感想などありましたら、ぜひお願いします。